所長プロフィール

経歴
昭和53年 | 青山学院大学 経営学部経営学科卒業 地元金融機関に就職(平成12年3月退職) |
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平成 3年 | 中小企業診断士試験合格 |
平成 4年 | 中小企業診断士登録 |
平成10年 | 社会保険労務士試験合格 |
平成12年 | 小豆川社会保険労務士事務所設立 |
平成19年 | 紛争解決手続代理業務試験合格 特定社会保険労務士登録 |
平成20年 | 社会保険労務士法人小豆川事務所に改組 代表社員 |
平成23年 | 社会保険労務士法人 人事給与 小豆川事務所に改組 代表社員 |
役職
趣味
社会保険労務士として独立した年にゴルフを初めました。
それ以来ゴルフは私の唯一無二の趣味となりました。今では生涯の趣味というより自分の最期はゴルフ場で迎えたいとさえ思うようになりました。
しかし、自分の思いとは正反対にゴルフの腕はなかなか上達しません。そんな私ですが、ひとつ自慢話があります。
忘れもしない平成20年7月13日、大富士ゴルフ場5番ホール(鶯谷)です。120ヤード打ち下ろしホール、8番アイアンでのショットが直接カップインしたのです。そうです。向かい風だったのです。普段ならピッチングで打つホールです。
私はこの一打を生涯一度しかない奇跡と思い、上段バックティー後ろに羽団扇楓(はうちわかえで)を植樹しました。秋には紅葉し、眼下には駿河湾と伊豆半島が見えます。(小豆川)

小豆川の由来
その昔、武田信玄との戦に敗れた徳川家康は小豆川家由来の地、丸子(まりこ)に逃げてきた。
家康は五、六人の家来を連れて、「腹が減っている、何かないか」と言って小豆川の先祖の家に入ってきた。家人は対応に出たもののこれといって何もなく、なんとか小豆粥を用意した。家康はこのもてなしにたいへん喜び、追われる身でありながら一通の書状を置いていった。
その後武田の時代は終わり、家康は駿河に城を構えることになった。
ある日、家康の使いがやってきて書状が実行されることになった。
家康は小豆粥で助けられたこと、書状を置いていったことを忘れていなかったのだ。
小豆川の先祖は書状の内容通り、笠をかぶって目通り(視野に入る)の土地『七瀬七窪 七町歩(ななせななくぼななちょうぶ)』を拝領し、小豆粥の小豆と徳川の川を頂き、小豆川の姓を賜った。毎年一月十五日(小正月)に小豆粥を食べる風習の起源ともされている。
